2008'01.19.Sat
実はほんとに竜崎は何も要らなかったんじゃないかなあ…と私は思ってます。
たぶん自分がとてもさみしがりやなので、愛情や友情を欲するような(あるいは喜んで受け入れるような)竜崎を考えたくないんだと思います。むしろ愛なんかイラネ、と虚勢でも強がりでもなく軽やかに歩いて行く竜崎が理想です。
でもイラネと思ってるからこそ、愛してる!と強引に愛情を押し付ける白月や、なんか好きです、と適当に近寄って来る松田に対する反応が可愛いんだよ~(笑)すっごい嫌そう…でも心底嫌じゃない。そんな竜崎はとても可愛いと思います。
京都でせんといんさんと「死に別れと愛が無くなって別れるのとどっちがいい」論争で盛り上がったのですが、ごめんなさい私やっぱり松田にみとられて病で死んで行く竜崎が幸せとは思えない…。竜崎の幸せはもっと別のところにあるような気がするの…松田の腕の中じゃなくて…。(もちろん月の腕の中でもない。)だから幸せの大きさを比べてみても、病死も離別もそんなに変わらないと思う(笑)いや、竜崎が松田のこと大好きで、松田と一緒に居られたらそれが最高の幸せだと思える子なら、死に別れも幸せかもしれんが…。あるいは相手が月でもいいですが。
え、ていうか、そんな病気にならないと愛してもらえないのか竜崎は!
私の好きな竜崎は愛されることよりも愛することが好きなんです。たぶんね。
つか私、病死がそもそも苦手なんだよ!やだやだやだじわじわと死んで行くなんて…。そんないかにも涙を誘う設定も苦手だ…涙もろいので…もう泣きたくない…。
死ぬときは(*´ω)o….o(ω`*)一緒だ竜崎
でもそう思ってるのは月だけ…たぶん
たぶん自分がとてもさみしがりやなので、愛情や友情を欲するような(あるいは喜んで受け入れるような)竜崎を考えたくないんだと思います。むしろ愛なんかイラネ、と虚勢でも強がりでもなく軽やかに歩いて行く竜崎が理想です。
でもイラネと思ってるからこそ、愛してる!と強引に愛情を押し付ける白月や、なんか好きです、と適当に近寄って来る松田に対する反応が可愛いんだよ~(笑)すっごい嫌そう…でも心底嫌じゃない。そんな竜崎はとても可愛いと思います。
京都でせんといんさんと「死に別れと愛が無くなって別れるのとどっちがいい」論争で盛り上がったのですが、ごめんなさい私やっぱり松田にみとられて病で死んで行く竜崎が幸せとは思えない…。竜崎の幸せはもっと別のところにあるような気がするの…松田の腕の中じゃなくて…。(もちろん月の腕の中でもない。)だから幸せの大きさを比べてみても、病死も離別もそんなに変わらないと思う(笑)いや、竜崎が松田のこと大好きで、松田と一緒に居られたらそれが最高の幸せだと思える子なら、死に別れも幸せかもしれんが…。あるいは相手が月でもいいですが。
え、ていうか、そんな病気にならないと愛してもらえないのか竜崎は!
私の好きな竜崎は愛されることよりも愛することが好きなんです。たぶんね。
つか私、病死がそもそも苦手なんだよ!やだやだやだじわじわと死んで行くなんて…。そんないかにも涙を誘う設定も苦手だ…涙もろいので…もう泣きたくない…。
死ぬときは(*´ω)o….o(ω`*)一緒だ竜崎
でもそう思ってるのは月だけ…たぶん
デスノートの原典はただ一つ、小畑とつぐみが生み出したデスノート全12巻のみだと私は思ってるので、映画やアニメやノベライズが原作になりうるなんて考えたこともなかったです。ちぇんざわの表紙だって、小畑が描いたってだけで原作じゃないし…。あっでも螺旋竜崎は原作の息吹を感じましたが。贔屓目?
で、二次創作というのはもうどう足掻いても二次創作でしかないんですよね。原作を読んで、そこから感じた思いや感想を自分の言葉と絵で表現する。だからそこにはかき手の感性や思想、経験がどこかに影響しているはずだし、逆に影響しているべきだとさえ思います。原作そっくりの写し絵には興味をそそられるけど、所詮それは劣化したコピーに過ぎない。だとしたら、誰かのフィルターを通して誰かの魂を宿したデスノ世界を見せてもらう方が私は好きだし、意味のあることだと思います。「原作」になることはそもそも不可能なんだから、むしろどれだけ「自分なりのデスノート」を創作できるか、それが勝負なんじゃないかなあ…それが突き抜けるとね、原作の原型を欠片も留めていないパラレルでも好きになれちゃうんですよ不思議だなあ!
創作というとお高く止まってるみたいだけど、オリジナリティをもって表現することは全て創作だと私は思ってます。別にクリエイターでも創作活動家でもないしがない人間の言うことですけどね…
で、二次創作というのはもうどう足掻いても二次創作でしかないんですよね。原作を読んで、そこから感じた思いや感想を自分の言葉と絵で表現する。だからそこにはかき手の感性や思想、経験がどこかに影響しているはずだし、逆に影響しているべきだとさえ思います。原作そっくりの写し絵には興味をそそられるけど、所詮それは劣化したコピーに過ぎない。だとしたら、誰かのフィルターを通して誰かの魂を宿したデスノ世界を見せてもらう方が私は好きだし、意味のあることだと思います。「原作」になることはそもそも不可能なんだから、むしろどれだけ「自分なりのデスノート」を創作できるか、それが勝負なんじゃないかなあ…それが突き抜けるとね、原作の原型を欠片も留めていないパラレルでも好きになれちゃうんですよ不思議だなあ!
創作というとお高く止まってるみたいだけど、オリジナリティをもって表現することは全て創作だと私は思ってます。別にクリエイターでも創作活動家でもないしがない人間の言うことですけどね…
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